ネットをしながらテレビを聞いていたら、ダイエーの特集で、問題の一つは「仕入れを本社が中央集権的におこなうシステムになっていて、店舗側では工夫をすることができず、商品開発力が低下していった」ことにあったそうだ。
「フランチャイズやライセンスというものは、そもそも何のためにあったのだろう。」という話を、ちょうど色々な人と話していたところでした。一つの目的としては、ある場所で発見されたノウハウや知識をマニュアル化して、効率的に多くの場所で使えるようにする、というイノベーションを促進する側面がある。トヨタの看板方式とカイゼンはこれにあたりますね。
一方で、ビジネス面からとらえると、そのノウハウなり、仕入れや流通といったシステムを「部外秘」に保護して、それを「ライセンス」することで、ガバナンスと収益を得る、という側面もある。ダイエーが標榜していた、セントラル・バイイングというチェーンストアの理念がこちら。
知識やノウハウ、あるいはそれが法的に明文化された著作権や特許。「知識を持つものが、持たないものをコントロールする」といってしまうと語弊があるが、企業ガバナンスは情報の非対称性に依存するのも事実。
そのさらに上位に位置するのが、「持つもの同士が、手を結ぶ排他的経済地区」。MPEGを研究開発する企業が、業界団体を作って、特許プールを設けたり、二社間でクロスライセンスを結んだり。
それに関連して、オープンソースをうまくとりこんだMac OS Xについての、こんな記事。
A・ハーツフェルドが語る「Macの誕生と、その他の物語」(後編) - CNET Japan
--AppleがFreeBSDからLinuxに乗り換えたら、何が変わると思いますか。
技術面での変化はほとんどないでしょう。ビジネス面では・・・Macのシステムに採用されるフリーソフトウェアが増えるほど、IBMなどの企業や、その他のオープンソースシステムと提携する機会が増えると思います。Microsoft支配という悪夢を生き延びたIBMは、Steve Jobsが第2のBill Gatesとなることを何としても避けようとするはずです。さまざまなレベルでシステムを根本的にオープンにすれば--選択肢を提供し、コントロールを放棄すれば--競合企業を協働させることができます。それが可能であることを、われわれはEazel時代に学びました。Eazelはオープンソースの分野で、SunやHPと大規模な提携を行いました。たとえライバル同士でも、どちらにも所有権がなければ、同じソフトウェアに共に取り組むことができるのです。
--それは寡頭政治につながるのではありませんか。SunとHPが結託して、「共通のオープンなプラットフォームを使おう。資金と人材をわれわれが握れば、中小企業が台頭する余地はない」というかもしれません。
そうはなりません。なぜなら、これは革新を受容するシステムだからです。私があるすばらしいアイディアを持っていたとしましょう。ユーザーが飛びつくような、世界を変えるようなアイディアです。しかし、閉鎖的なプラットフォームでは・・・私は締め出されます。ソースコードの所有権がないので、コードに手を加えることができないからです。しかし、オープンなプラットフォームでは誰もが歓迎され、したいことをすることができる。もちろん、利益が出るかどうかは別の問題です--それは複雑で、細かい部分が重要になりますからね。でも、この方がはるかに健全な環境を構築できると思います。
「なぜなら、これは革新を受容するシステムだからです」というところに、なにか大きなヒントがあるような気がする。保護vs公開、知識の共有vsライセンシング、対立的な概念として捉えられがちだけれど、そのどちらもが、ある条件ではイノベーションを促進する訳です。
問題は、それが所有権や政治的ガバナンスとミックスされることで、複雑怪奇な世界に落ち込んでいってしまうこと。
Google経営者がインタビューで「特許は、それほど重視していない」と言い切りつつ、「ただし、20%ルール(従業員は仕事の20%を自分の好きなことの開発につかってよい)をはじめ、イノベーションがボトムアップで発生することに、最大限の注意を払っている」と答えていました。
つまり所有権を拡大すること以外の方法で、企業価値を最大化する具体的な戦略を、Googleはなにか持っているということなのでしょうか?
どの部分を公開し、どの部分まで守るべきなのか。微妙なバランスの調整が、イノベーション、ビジネスの両方の側面で、ますます重要になってきているのは事実のようです。
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