ココの波いいよ、なんていう風に使えるんです。今乗ってるサーフボードのロングの方は、衛星写真にも写っている、桟橋近くのショッピングセンターで買いました。
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2005年4 月 6日 (水) カテゴリー: tech | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
ブログ的にはアフリカ旅行の最中ですが、4月1日からSix Apart Japanに参加することになりました。MovableTypeを初めてインストールしたのが2003年8月、見事にブログにハマったということかもしれませんが、これからはフルタイムで関わることになります。
「ソフトウェアとは何だろう?」と時々考えることがありますが、コンピューターの上で走るプログラムだけでなく、法律や社会のシステム、経験から生まれたノウハウや知識、「頭の中で考えたことを形にして、誰にでも使えるようにする」という意味では、日常生活はあらゆるソフトウェアに支えられているのでしょう。
ブログというソフトウェアは、その中ではまだ新しく、IT・インターネットという文脈で説明されることが多いのかもしれません。一方で、ブログを続けてきて感じる、もっとシンプルな自分への影響、考えることの楽しさや、その考えのエッセンスをアフリカでも見かけて、現地の人とよりよいコミュニケーションが可能になったり。
表現することは、メディアの中の限られた人々のものではなく、もっと日常に近い、自分の周囲の環境を心地よくすることに結びついている。実感でもあり、仮説でもあるわけですが、そんな可能性をすこしでも追求することができればと思います。
2005年4 月 3日 (日) カテゴリー: tech | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
Flickrやdel.icio.usなどのFolksonomy系ソーシャルソフトウェアと、ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)の違いについて、いくつか面白い記事がありました。
まずポイントを整理すると、以下のようなまとめになります。
まず、個人の便利ツールからはじまった、という点についてはdel.icio.usの共有ブックマークという概念も、偶然の結果のようです。
ヨシュア・シャクター氏がdel.icio.usを立ち上げたのは、そもそも自分のブックマークを管理したかったからだ。しかし、思惑とは裏腹、自分が集めている情報だけでなく、ほかの人が集めている情報も見られるサイトが出来上がった。「自分の問題を解決したくて始めたことだが、それがみんなの問題を解決することになった」とシャクター氏。“ソーシャルタギング”の誕生だ。
Guardianの「タッグチーム(Tag team)」と題された記事でも、この点が指摘されています。簡単に違約すると、
1.個人の便利な道具
2.コミュニティーを通じてシェア
3.誰が見ても有用な情報源に発展する
というステップによってFlickrとdel.icio.usは非常にうまく拡大している。個人の道具としての便利さは、ユーザーがサービスを使い始めることをうながすが、コミュニティー的な便利さによって、さらにサービス全体の価値が増大している。
この部分がFriendsterなどの第一世代のソーシャル・ネットワーク・サービスと異なるポイント。第一世代のSNSが、まず友達の輪というリンク作成から始めるのに対して、Flickrやdel.icio.usなどは、友達リストをつくらなくても、写真の共有や、webサイト情報のシェアなど、特定の目的をすぐに実現することが出来る。
For Clay Shirky, a social software pundit, "Flickr and del.icio.us scale beautifully from individual utility (save this photo/link) through community (share this photo or link with family, friends, or colleagues) to public accessibility (share this photo or link with anyone and everyone). The personal utility gets people using the service, and the communal utility means the value of the service grows over time."
In other words, they work because they let individuals do something useful to them first and foremost. Social network effects only emerge later. This is different from first generation social networking services such as Friendster (which let users link to friends, and friends of friends), according to Erik Benson of the Robot Coop, which created 43 Things. This lets people share (and tag) personal goals online with others, in the hope that that will help people actually achieve them. "We were influenced by Flickr, del.icio.us and others - but none are only about creating a list of friends. They're about sharing a particular set of experiences and making stuff happen."
The Long Tail ブログでは、ビル・ジョイの言葉を引用して、こんな意見。
「君がどうかに関わらず、もっとも優秀な人たちは、他の人のためになることを成し遂げてくれる(Joy's Law)」(という意味でいいのかな?)をレコメンデーションにあてはめれば、「君がどうかに関わらず、君が知らない人が最もCoolなものを発見してきた」
音楽の趣味について、自分と感覚が近いと思っている人は、かならずしも映画の趣味でも一致するわけではない。普通は、自分の周囲にいくつもの”信頼できるネットワーク”を持っていて、それを趣味や過去の経験や評価によって使い分けている。そして相手は必ずしも友達でなくてもよいし、人間ではない場合ですらある!(Amazonの関連商品とか)
自分が実際にしたことや、感心のあることについて、より深く、時間をかけて追求している人こそ信用できる。そういう人が、新しく発見した面白いことが自分にとっても有用で、自分が相手を知っているかとか、さらには相手が自分を知っているか、ということはほとんど関係が無い。
Bill Joy, the co-founder of Sun Microsystems, famously uttered this truism (now known as Joy's Law): "No matter who you are, most of the smartest people work for someone else." The same might be said of recommendations. No matter who you are, someone you don't know has found the coolest stuff.
Compounding the problem, the people whose recommendations I trust in music are different from those whose recommendations I trust in movies. Gadgets are yet another group of mavens, as are games and books. Indeed, although I have dozens of "trust networks" (usually formed by reputation and experience, not personal relationships), most of them have nothing in common with each other, and almost none of them I consider friends. Some of them aren't even human--they're software.
2005年2 月 9日 (水) カテゴリー: tech | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
Gizmodoで知った、Napsterの新しいキャンペーン。iPod+iTMSで1万曲購入したら100万円かかるけど、Napsterなら月々15ドル!ってところでしょうか。
iTMSで1万曲も買わないよ、っとさっそく突っ込まれていますが、しかしちょっと面白いコスト比較ですね。音楽CDならしまだも、音質的にも限界があるMP3のデータは”お金を払って所有”するには値しないと思っているのですが、MP3”聞き放題の権利”なら納得できそうな気も。
そして、それを実現するのに一番いいデバイスは、なんと言ってもiPod Shuffleなのではないかと思ったりするわけです。iBookのUSBにさしたら、今まで聞いてきた曲のパターンによって、自動的にiTMSからダウンロード、iPod Shuffleに転送してくれるなら、これは月15ドル払ってしまうかも?そこで気に入った曲、アーティストはCDを買うかもしれません。Podcastingからも同じような購買パターンがあるかもしれませんね。
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2005年2 月 8日 (火) カテゴリー: tech | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (1)
ちょっと前のHot Wiredで、The WIRED CD | Creative Commonsに参加したことについての小山田圭吾さんのインタビューを読み返して、ちょっと思ったこと。純粋につくった音楽をリスナーに届ける、という意味では、「アルバムであることの制約」も実は大きいのではないかと。
インタビューのなかで小山田さんは、「P2Pファイル交換は、CDで手に入らないものもあるけれど、ダウンロードできない場合もあって、結構面倒くさい」、「輸入版CD規制問題もビジネス問題うんぬんよりも、日本で手に入る音楽が少なくなることが大問題」だから「商用でもっと便利なものがあればユーザはついてくるのではないか?」という意見のあとで、
そういったサービスが出た場合、ご自身の作品を配信することは考えていますか? またパッケージから離れることで楽曲の形態もいろいろと変化するのかな、と思うんですが。
そうですね。(配信は)十分考えられると思います。多分、これからはそっちが増えていくことになると思うし。そうなるとアルバムっていう概念は難しくなるでしょうね、きっと。リスニング環境もアルバム1枚を通して聴くというより、iTunesとかを使って、ライブラリの曲をランダムに聴くことも多くなるだろうし。パッケージングの工程がなくなることで、作品ができたらすぐに配信することも可能になる。そういう楽曲の発表の仕方も出てくるでしょうね。ただまあ、しばらくはパッケージがなくなるとは思わないです。やっぱりアルバムみたいに何曲かを通して、その時間軸の中で聴くっていうこともなくなるとは思えない。それはそれですごく面白い音楽の楽しみ方だと思うんですよ。
時間軸という単語。ここでは一つのアルバム内での時間軸を指し示しているけど、もっと大きく括ると、一人のアーティストという時間軸もありますね。
期間内に一つのアルバムを仕上げてリリースしなければいけない、というプレッシャーから開放されると、もっとリアルタイムな音楽がでてくるのかも。その時の世の中の雰囲気とか、あるいはもっとパーソナルに受けた刺激から即興に書き上げた音楽を、つくったその日に聞けたら、今のアーティスト→レーベル→パッケージ→リスナーという関係とは違う音楽的な関係性が築けそう。
音楽って、非常にエモーショナルなメディアだと思うので、もっとアドホックに、On the Flyでアーティストから直接リスナーの感覚に届いてもいいのでは。
音楽を好きな人って、そういうことを音楽に求めている人が多いと思うんですよ。根本的に規制みたいなものとは相容れないところがあるんですよね。きっと。そこを突き破って出てくるものに対して、喜びを感じる部分っていうのがきっと多いと思うんですよね。
2005年1 月26日 (水) カテゴリー: tech | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (1)
Paul Graham著『ハッカーと画家―コンピュータ時代の創造者たち』。サポートページShiro:HackersAndPaintersからリンクされている川合史朗さんのページでも、かなりの数の翻訳を読むことができます。どれも面白い文章。以下はまとめでもなんでもなくて、自分が思い出す用のメモ。
どんな時代でも、そういったレッテルを見つけるのは難しくない。同意出来ない意見に対して、「それは正しくない」というかわりに人々がどういう言葉を使うかを見れば良い。政治家が、相手に対して「間違っている」というなら、それは率直な批判だ。しかし政治家がある主張を、その真偽ではなく「対立主義的」だとか「差別に対して配慮を欠いている」だとか言って攻撃しているとすれば、注意を払った方がいい。
私がそれをするのは、まず第一には、子供の時に石の下を覗いたのと同じ理由からだ。純粋な好奇心。そして特に、禁じられていることに対する好奇心。とにかく見せてよ、それからそれをどうするか自分で考えるから。
水の中にいる時に、どうやったら波を見ることができる? 常に問い続けることだ。それが唯一の防御だ。口にできないことは何だ。そして何故だ。
ものつくりのセンス ---Taste for Makers---
我々の多くは子どもの頃に、この絡み合いを考えないままでいるように教えられてきた。弟が塗り絵で人を緑に塗っているのをばかにしていると、母親はきっと「あなたにはあなたの好みが、弟には弟の好みがあるのよ」とかなんとか言うだろう。
ここで母親は美学についての重要な真実を教えようとしているわけではない。単にあなたと弟がけんかするのを止めたいだけだ。
センスは個人の好みだと言うのは論争を避けるには良い方法だ。問題は、それが真実でないということだ。ものをデザインしはじめると、それを感じることになる。
良いデザインは単純である。
良いデザインは永遠である。
良いデザインは正しい問題を解決する。
良いデザインは想像力を喚起する。
良いデザインはしばしばちょっと滑稽だ。
良いデザインをするのは難しい。
良いデザインは簡単に見える。
良いデザインは対称性を使う。
良いデザインは自然に似る。
良いデザインは再デザインだ。
良いデザインは模倣する。
良いデザインはしばしば奇妙だ。
良いデザインは集団で生起する。
良いデザインはしばしば大胆だ。
簡潔さは力なり---Succinctness is Power---
私の知る限り、この問題について最初に書いたのはFred Brooksだ。彼は「人月の神話」の中で、平均的なプログラマが生産できるコードの行数は言語によらずほぼ一定であると述べていたと思う。私は確か、学部生か大学院に入りたての頃にそれを読んで新鮮な驚きを受け、その意味するところは非常に大きいと感じた。だってそこから得られる結論は、 (a) ソフトウェアをより速く書く唯一の方法はより簡潔な言語を使うことで、 (b) その手間を掛けた者はそうしなかった競争相手をはるか後方に引き離すことが出来る、ってことだからだ。
デザインとリサーチ ---Design and Research---
良いデザインが出て来やすいのは、対象とするユーザーがあなた自身を含んでいる時だ。あなた自身を含まないグループに対して何かをデザインしていると、対象ユーザー層は自分より上ではなく、下だと思ってしまいがちになる。
それは問題だ。ユーザーを見下ろすことは、たとえ慈悲心があったとしても、いずれはデザイナーをだめにする。アメリカの住宅のうち、自分でそこに住もうと思っている設計者が作ったものはほとんど無いんじゃないか。
現実には、良いデザインを得るにはユーザーに近付き、そして常にユーザーの側に居なくてはならない。実際のユーザーに合わせて常に考えを調整しなければならない。特に最初の段階がそうだ。ジェーン・オーステンの小説が良いわけは、彼女はまず作品を家族に読んで聞かせたからだ。だから彼女は自己満足的な芸術ぶった風景の描写や、もったいぶった哲学的考察に堕ちることが決して無かった。
もうひとつの未来への道 ---The Other Road Ahead
うちの近所に、こんなステッカーを貼った車が停めてある:「不便なら死んだほうがまし」。多くの人は、ほとんどの場合、一番手間のかからない方法を選ぶ。Webベースのソフトウェアが勝つとすれば、それが便利だからに他ならないはずだ。そして、どうもそれは正しいようだ。ユーザにとっても開発者にとっても。
開発者にとって、Webベースとデスクトップソフトウェアとの最も顕著な違いは、Webベースアプリケーションはひとつのコードの塊ではないということだ。Webベースアプリケーションは単一の大きなバイナリではなく、むしろ違ったタイプのプログラムの集合になるだろう。従って、Webベースアプリケーションの設計は、ビルディングを作るよりも都市を作るのに似てくる。ビルディングだけでなく、道路や標識、上下水道にガス電気、警察署と消防署、そして拡張計画や災害への対応計画なんかが必要だ。
E. B. ホワイトは、農場を持っている友人から、電流を流せる柵の多くは実際には電流を切っていると聞いて感心した。牛は一度感電を経験したらそういう柵に近寄らないようになるから、電流を流し続ける必要はない。「立ち上がれ、牛たちよ!」彼は書いた。「君主が寝ている間に自由を手にせよ!」
百年の言語 --- The Hundred-Year Language
実装を気にして書く必要が少なくなれば、プログラムはより柔軟になる。プログラムを書いている最中に仕様が変わっても対応できる。これは単に避け難いというだけでなく、望ましいことだ。
「エッセイ」という単語はフランス語の動詞 "essayer" から来ている。それは「試す」という意味だ。エッセイは、もともとの意味においては、何かを理解するために書いてみるものだった。ソフトウェアも同じことだ。最良のプログラムのいくつかは、作者が何を書くべきかはっきりわからないままに書きはじめたという意味で、エッセイであると言えるだろう。
非効率なソフトウェアが醜いのではない。醜いのは、プログラマに不要な仕事をさせる言語だ。本当の非効率性とは、マシンの時間を無駄にすることではなく、プログラマの時間を無駄にすることだ。コンピュータが速くなればなるほど、このことははっきりしてくる。
さあ、ここに2つのアイディアが出た。これを組み合わせるとおもしろい可能性が見えてくる。(1)100年後の言語は、原理的には、現在でも設計できる。(2)そのような言語は、もし存在すれば、現在でもプログラムを書くのに良い言語かもしれない。こんなふうにアイディアを並べて見ていると、 100年後の言語を、今、設計したくなってこないかい?
言語を設計する時には、そういうターゲットを設定して、常に頭に置いておくことは良いことだと思う。運転を習う時、道路の線に車を合わせるのではなく、遠くの点を目標にして方向を合わせると良いと教わるはずだ。たとえ目先10フィートまでに起こることが重要なのだとしても、そのアドバイスは正しい。プログラミング言語に関しても、それは同じだ。
ハッカーと画家 ---Hackers and Painters---
ハッカーがやっていることは「計算機工学」と呼ばれることもあるが、この用語も誤解を助長するだけだ。優れたソフトウェア設計者は、建築家がエンジニアではないのと同じように、エンジニアではない。もちろん建築とエンジニアリングの境界ははっきりと定められているわけじゃないけれど、確かに存在する。それは、「何を」と「どうやって」の間にある。建築家は何をするかを決め、エンジニアはそれをどうやってするかを考え出すのだ。
「何を」と「どうやって」をあまり分けすぎるのは良くない。どうやれば出来るかを理解せずに何をするかを決めようとするのは、間違いのもとだ。でも、ハッキングには確かに、ある仕様をどうやって実装するか決めること以上のものがある。ハッキングの最良の形態とは、仕様を創ることだ--- ただ、仕様を創るいちばんの方法はそれを実装することだ、ということに過ぎない。
人々があなたの仕事を誤解するよりも悪いことがある。より大きな危険は、あなた自身が自分の仕事を誤解することだ。アイディアを探す時、人は関連した分野を見にゆく。あなたが計算機科学科にいたとしたら、ハッキングは理論計算機科学に対する応用だとか思ってしまうかもしれない。私は大学院にいた頃ずっと、もっと理論を知らなくちゃならないという思いが心の底にあって、居心地の悪い思いをしていた。期末試験から3週間後にはすっかり全部忘れてしまうことをずいぶん後ろめたく思ったものだ。
でも、私は間違っていたんだ。ハッカーは、画家が絵の具に関する化学を理解するのと同程度に計算理論を理解していればいい。時間的、および空間的な複雑度の計算法と、チューリング完全の概念については知る必要があるだろう。それから、パーザや正規表現ライブラリを書くことになった時のために、状態機械の概念は少なくとも覚えておいた方がいいかもしれない。実は、画家はそんなことよりもっとずっとたくさんのことを、絵の具に関する化学で覚えなければならないんだ。
もうひとつ、これは矛盾しているように聞こえるかもしれないが、偉大な絵画とは、それ自身があるべき姿よりも優れているはずだ。例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチがナショナルギャラリーにある ジネヴラ・ベンチ の肖像画を書いた時、彼は人物の後ろに杜松の潅木を配置した。絵の中で彼は、松の葉を一枚一枚、注意深く描いた。他の多くの画家だったら、これは単に人物の背景を埋めるだけのものだと考えたかもしれない。誰もそんなにそれを注意深く見ることはしないだろうと。
レオナルド・ダ・ヴィンチは違った。彼にとって、絵のある部分にどれだけ手間をかけるかは、誰かがそこを見るかどうかには関係なかったのだ。彼はマイケル・ジョーダンと同じだ。妥協しないんだ。
見えない細部は、それが組合わさると、見えるようになる。妥協しないことはこの点で重要だ。ジネヴラ・ベンチの肖像画の横を通りかかった人々は、すぐにその絵に気を止める。絵のラベルを見てそれがレオナルド・ダ・ヴィンチによるものだと知るより前からだ。全ての見えない細部が組合わさることにより、まるでほとんど聞こえないかぼそい声が幾千も合わさって一つの旋律を歌っているかのように、ある種圧倒される何かが創られる。
私は子供の頃、いつも、人の身になってものを考えなさいと教えられた。実際にはそう言われる時はいつでも、自分のしたいことじゃなくて他人の望むことをしなさい、という意味だった。だから共感なんてつまらないものだと思って、私はそれを磨こうとはしなかった。
だが、なんてこった。私は間違っていたんだ。他人の身になってものを見るというのは、本当は成功する秘密だったんだ。それは自己犠牲を意味するとは限らない。他の人のものの見方を理解することは、あなたがその人の利益のために行動しなくちゃならないということには関係ないんだ。特定の状況では、例えば戦争をしている時は、まったく逆の行動をしたいと思うだろ
同じことがGoogleでも起こったんだと思う。 Googleが創立された時、いわゆるポータルについては、検索という部分は退屈でさして重要でないものだというのが一般的な認識だった。だがGoogleは検索は退屈なものだとは思わなかった。それが、彼らが検索を非常にうまくやってのけた理由だ。
ここは、マネージャーで差をつけられる領域だ。親が子供に言い聞かせるように、部屋を10分で綺麗にかたづけることはできないかもしれないけれど、良いマネージャーは問題をより面白いものに再定義してやることができる。スティーブ・ジョブスはこの点が特に長けている。高いスタンダードを持つというのもその一部だ。Macの前にも、たくさんの、小さく安いコンピュータがあった。彼は問題をこう再定義したんだ:美しいコンピュータを作ろう。それこそが、他のどんな鼻先のニンジンよりも、開発者達を駆り立てたんじゃないだろうか。
そして、彼らは確かにそれに成功した。Macが初めて現れた時、あなたはそれが良いものだと知るのに、電源を入れてみる必要さえ無かったはずだ。ケースを見るだけでわかった。何週間か前に、私はケンブリッジの道端を歩いていて、誰かの捨てたごみの中にMacのキャリングケースみたいなものを見つけた。中を覗いて見たら、果たせるかな、Mac SEが鎮座していた。私はそれを抱えて帰って、電源を入れてブートしてみた。Macintoshの笑った顔が現れて、ファインダーが現れた。ああ、なんてシンプルなんだ。これはまさに…Googleのようだ。
友人の幾人かは、ハッカーの集中力に関して言及した。一人の言葉を借りれば、「他の全てのことを頭から追い出せる」能力だ。私も確かにそれには気づいていた。また、何人かのハッカーが、ビールを半杯でも飲んだら全くプログラムできなくなると言っているのも聞いたことがある。ハッキングは、ある種の特殊な集中能力を必要とするのかもしれない。素晴らしいハッカーはたぶん、非常に大きなコンテキストを頭の中にロードすることが出来て、したがってコードを一行眺めている時にも、その行だけでなくそれを取り巻くプログラム全てを見ているのかもしれない。ジョン・マクフィーはビル・ブラッドレイのバスケットボール選手としての成功は、彼の並外れた周辺視に依っていたと書いていた。通常、完全な視力は、だいたい47度の垂直周辺視角を持っている。ビル・ブラッドレイは70度の視角を持っていた。彼は床を見つめていながら、バスケットを観ることが出来たのだ。素晴らしいハッカーは、そのような生まれつきの能力を持っているのかもしれない。 (私は密度の高い言語を使うことでずるをしている。それは実質的にコートを狭める効果を持っているからだ)。
知っておきたかったこと --- What You'll Wish You'd Known
偉大な問いを発するのに何年もかかるとしたら、いま、16歳の君は何をしたらいいだろう。質問を見つける準備をするんだ。偉大な問いは突然現れるんじゃない。徐々に頭の中に結晶してくるんだ。それを結晶させるのは経験だ。だから、偉大な問いを見つけるのに探し回ってもだめだ。「ぼくができる偉大な発見は何だろう」なんてぼんやり考えててもだめだ。そんな質問に答えはない。答えがあるなら既に見つけてるはずだからね。
大きなアイディアが頭に浮かぶようになるには、大きなアイディアを追い求めるんじゃなく、自分が興味を持つことにたくさんの時間を費すことだ。そして頭を柔軟に開いておいて、いつでも大きなアイディアが巣を作れるようにしておくんだ。アインシュタイン、フォード、ベッケンバウアー、みんなこのレシピを使ったんだ。彼らはみな、ピアニストがピアノの鍵盤を知りつくしているのと同じように、自分の仕事を知りつくしていた。だから何かひっかかりがあれば、すぐにそれに気づけるという自信を持っていたんだ
2005年1 月26日 (水) カテゴリー: tech | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
なんだかdel.icio.usづいている昨今ですが、同じくGenさんから教えてもらった、del.icio.usとFlickrに関する論文。
Folksonomies - Cooperative Classification and Communication Through Shared Metadata
Folksonomyとは、Folks(皆の)taxonomy(分類学)という二つの言葉を組み合わせた造語。理解の範囲で意訳すると、
この特性によって、どんどん情報が更新されるWWWの世界でも、その時々で最も望ましい情報の取得パスを提供することができるのではないか、というのが趣旨のようです。
「分類するための単語の定義」に、多大な時間をかけて議論するぐらいなら、多少曖昧でもいいから、実際のモノにタグをどんどんつけていって、そのタグを経由して新しい情報が見つかる方がハッピーじゃない?という割り切りが一つのポイントなのでしょうか。もともと「意味」は主観であって流動的なんだよ世の中は、という開き直り?
インターネットもブログもdeliciousも、あくまでも皆が使うツールなわけですし、ツールはシンプルで、多少の曖昧さがあったほうが、新しい使い方、イノベーションを誘発しやすいということもあるのかもしれません。
A folksonomy represents simultaneously some of the best and worst in the organization of information. Its uncontrolled nature is fundamentally chaotic, suffers from problems of imprecision and ambiguity that well developed controlled vocabularies and name authorities effectively ameliorate. Conversely, systems employing free-form tagging that are encouraging users to organize information in their own ways are supremely responsive to user needs and vocabularies, and involve the users of information actively in the organizational system. Overall, transforming the creation of explicit metadata for resources from an isolated, professional activity into a shared, communicative activity by users is an important development that should be explored and considered for future systems development.
Folksonomies - Cooperative Classification and Communication Through Shared Metadata
関連記事
なぜソーシャル・ブックマークのdel.icio.usが面白いのか
del.icio.usとiPod Shuffleの隠れた関係
2005年1 月14日 (金) カテゴリー: tech | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (6)
前回の記事「ブログ+RSSリーダーと、検索エンジン。情報を探す導線設計の違いと補完関係」では、検索エンジンとブログ+RSSリーダーの、情報を探すための導線設計の違いを以下のように整理しました。そこで、今回は導線設計の違いによる、ビジネスモデルの差を考えてみます。
情報の対象 | 探す手段 | 例えるなら | |
検索エンジン | HTMLファイル | キーワード | 個別の記事 |
ブログ+RSS | ブログ | Context | 雑誌の定期購読 |
まずは検索エンジンから。現状で、ブログの記事を対象とした広告ビジネスモデルといえばAdsenseです。AdSenseは以下のような特徴があります。
全自動+低コストのインフラで、個人コンテンツ広告という「無消費の市場」を開拓した新市場型の破壊的イノベーションといえます。この辺の詳しい説明はこちらの記事で「GoogleのAdSense広告戦略は、新市場型破壊による”イノベーションの解”か?」。
Adsenseを前回の記事の、情報の導線設計にあてはめて図式化すると、こんな感じになるのでしょうか。
もともと検索エンジンが「キーワードと一つのHTMLページを関連付ける」ことを主眼においているので、ビジネスモデルもシンプルに「キーワードと広告を結びつける」ということになります。これはこれで、分かりやすくフェアなビジネスモデルといえるでしょう。
ただし裏を返せば、「自動的にフィットする広告が選ばれる」ということは「ページ作者が、何をおすすめしたいか(どの広告を表示するか)は選べない」ということであり、「記事単位での広告」ということは「記事をまたがって、プロモーションが広がる」ということは無い、ということでもあります。まあ、当たり前のことで、これは欠点でも何でもないのですが。
一方で、ブログの普及と共に急速に普及しているアフィリエイト広告を考えると、またすこし違う属性が見えてきます。
このサイトでもG-ToolsというAmazonのアフィリエイト・ツールを提供していますが、こちらの特徴は以下のようになります。
この辺りは、以下の記事でも関連して書いています。
U2が無料で協力するiPodと、FireFoxの25万ドル寄付広告に見る「プロモーションの自由」
快適操作はiPod+iTunes & 知識共有はブログ & ストレージ共有はLinux 新しいハードのバイラル・マーケティング
また、情報の導線設計にあてはめると以下のような図になります。
図にしてみて改めて分かるのは、このようなプロモーションが効果を最大の発揮するためには、
したがって、ブログのテーマ(Context)を考慮せずに、をただ単に商品リンクをコピー&ペーストして、ブログの記事を連発しても、本当の意味でのブログのパワーを利用していないことになります。
ブログのSEO効果、ということも言われますが、これは前述の検索エンジンをターゲットにする場合のみ有効で、またここまでブログが普及してくると、その効果はすぐになくなってくるでしょう。
というわけで、ビジネス的な側面を見ても、ブログ+RSSと検索エンジンは、結構異なる特性を持っているようです。またブログに関しては、その作者が「どのように自分のブログを編集するか」ということによって、意味的なつながり(Context)も大きく変わってくるので、単純にテクノロジー的な側面だけでは予測がつかない、社会に浸透してきて初めて「なるほど~こういう使い方もあったのか」という結果が見えてくるのかもしれません。
2004年12 月27日 (月) カテゴリー: tech | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (2)
ブログとRSSリーダーを一度使い始めると、もう絶対に手放せなくっている人も多いと思います。今までの検索エンジン、メールマガジンとは、別の形の情報収集のツールであることは直感的にわかるのですが、その具体的な違いは何なのか?しばらく考えていたことが結構整理できたのでまとめてみます。
いきなりですが、下の図を参照ください。
この図は、ネット上での情報のつながりと、その情報に対するリーチのしかたを整理したものです。
まず個々のブログは、それぞれ幾つかのテーマを持っています。例えばこのGoodpicブログだと「ネット技術、サーフィン、海の写真、湘南地方」などいくつかのテーマに関連した記事が集まって、一つのブログとして成立しています。一方で、他のあるブログは「ネット技術、音楽、ラーメン」を主にテーマとしている場合、この二つのブログは「ネット技術」という意味合い( Context )でリンクしているといえます。
この意味的なつながり( Context )が、ブログ同士をリンクしている緑の点線で、それは「ネット技術」のような記事のテーマだったり、あるいは住んでいる地域だったり、知っている人( SNS )だったりと色々なContextが存在します。
そういった様々なContextを、RSSリーダーや、SNSでつながっている人のブログの更新情報を表示できる機能や、メタタグを利用してFlickrやdel.icio.usのようにシェアすることで、情報を入手するのが最近トレンドの導線設計かなと。
一方で右側の検索エンジンを使った、情報のリーチは「あるページに含まれているキーワード」と、おなじみのGoogleのPageRankのようなページ評価を組み合わせることで実現されています。この場合は、「あるキーワード」に関して、インターネット上でもっとも評価の高いページから閲覧する、という導線設計になります。
一つのページ=記事は、だいたいにおいて主なテーマがありますが、より具体的に検索するためには、絞込みのためにサブ・テーマ的なキーワードを組み合わせて検索する必要があります。そういった意味では、一つの記事も複数のContextを持っていると考えて差し支えないでしょう。
日常的にRSSリーダーと、検索エンジンの両方を使い分けているように、この二つは競合するものではなくて、相互に補完するものだと思います。そもそも、一つのブログは、沢山の個別記事から成り立っているものですし、検索エンジンで一つの記事にたどり着いて、自分の興味のあるテーマを扱っているブログだったら、RSSリーダーに登録する、というは自然の流れです。
こんな感じで整理してみると、一つのHTMLページは「一つの記事」で、ブログは「記事が集まった雑誌」、RSSリーダーでチェックするのは「雑誌を定期購読」するイメージでしょうか。
情報の対象 | 探す手段 | 例えるなら | |
検索エンジン | HTMLファイル | キーワード | 個別の記事 |
ブログ+RSS | ブログ | Context | 雑誌の定期購読 |
ひとまずはこれで、ブログ+RSSリーダーと、検索エンジンの導線設計の違いが見えてきたところで、次は二つのビジネスモデルの違いをまとめてみたいと思います。
2004年12 月22日 (水) カテゴリー: tech | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (5)
遅まきながらAirMac Expressを買った。目的はもちろんiTunesのワイヤレス再生と、あとはプリンタサーバとしてMacとWindows XPの両方からプリントアウトできるようにすること。今回は同時に古くなったプリンタを、Canon PIXUS iP4100に買い換えております。iBookとWindowsマシンの両方からプリント・アウトするための設定について以下に詳しくまとめます。
Canon PIXUS iP4100 |
Apple AirMac Express ベースステーション [M9470J/A] |
Air Tunes最高!さすがにMP3だと、音質は今ひとつですが、それでもワイヤレスLANでiBookからガンガン曲を切り替えるのは新しい体験ですね。
それはさておき、プリンタサーバとしてのAirMac Expressの利用について、結構ハマるとの噂も聞いていたものの、ひとまず成功したのでメモします。ただ、自宅の環境はiBookはワイヤレス接続だけれど、Windows XPマシンはEtherの有線LANでルータにつながっているので、ワイヤレス接続ではありません。
まずiBookは当然Apple社製品同士とうことで、あっさりと接続。ワイヤレスでAirMacエクスプレスのUSBにつないだiP 4100からプリントアウトできました。ということで問題のWindows接続へ。
まずは、AirMacエクスプレスのIPアドレスの確認と、プリンタへのリモートアクセスを有効にします。これはiBookから「AirMac管理ユーティリティ」を利用します。AirMac管理ユーティリティを起動して「ベースステーションの選択」画面でAir MacExpressの名前をダブルクリック。
AirMac Expressの詳細画面が出たら「AirMac」タブのベースステーションの名前や連絡先などの入力画面の下の「ベースステーションオプション」ボタンを押します。ここで「WANポート設定」という画面が出てくるので、「プリンタのリモートアクセスを有効にする」をチェックする。
次に「インターネット」タブをクリックして「IPアドレス」をメモ。ルータがAirMac Expressに割り振っているIPアドレスですね。
ここまで終わったら、AirMacExpressをアップデートして、プリンタのリモートアクセス・オプションが有効になるようにしましょう。そしてWindowsの設定へ。
Windows XPの「コントロール → プリンタ → プリンタのインストール」を選択。
「このコンピュータに接続しているローカルプリンタ」を選んで、「プラグアンドプレイ対応の...」のチェックボックスはOFFにします。
「プリンタポートの選択」画面になるので、「新しいポートの作成」を選んで、ポートの種類は「Standard TCP/IP Port」を選びます。
別途「標準TCP/IPプリンタポートの追加ウィザードの開始」が表示されるので「次へ」ボタンを押す。「ポートの追加」画面になるので、ここに先ほど調べたAirMac ExpressのIPアドレスを入力します。
「ポート情報がさらに必要です」画面になるので、デバイスの種類を「カスタム」に選び「設定」ボタンを押します。
ボートの設定は以下のような感じで、先ほど入力したAirMac ExpressのIPアドレスがちゃんと表示されて(実際にはIPアドレスの数字が表示されます)、プロトコルがRawになっていることを確認。
ポートの設定が終わると、「プリンタソフトのインストール」画面になるので、こちらで普通にプリンタのドライバを選択しましょう。
あとは、テスト印刷がうまくいけばOK! ちゃんとPIXUS iP4100のユーティリティや、付属ソフトからのプリントもうまくいきました。
最初は、iP4100にネットワークプリンタ機能がついて8000円ぐらい高いiP4100Rを買おうと思っていたけれど、AirMac Expressは14000円ぐらいで買えるから、お得感はありますね~。画質とか変わるんだろうか?原則的には、ネットワーク越しに同じドライバでプリントするだけだから同じはずですよね。
というわけで、意外とあっさりAirMac Expressをプリンタサーバとして使えたのでした。最初、色々とポートの設定を試しているときに、一度作ったポートの削除の方法が一瞬わからなかったのですが、こちらは「コントロール → プリンタ → ファイル(F)メニュー → サーバのプロパティ → ポート」で作成したポートを選んで削除でした。
参考にさせていただいたサイトはこのあたり。
- なるほど AirMac Express(YT iBlogged)
- 林檎はいかがですか? | AirMac Extreme BSやAirMac ExpressのUSBプリンタ接続について
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2004年12 月19日 (日) カテゴリー: tech | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (4)
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