「スケルトン・キー―グレイトフル・デッド辞典」をパラパラと読んでいて初めて知ったのですが、グレイトフル・デッドの作詞家、ジョン・ペリー・バーロウってEFFの設立者の一人なんですね。
久しぶりにEFFのサイトを見に行ってみると、BLOG-A-THONというイベントを開催中。Blog for Freedomをテーマに記事を書いて、7月19日から8月2日の間にポストをすることで参加。インスパイアリングなブログ記事は、EFFのサイトで紹介されるそう。
EFF: Blog-a-thon
Fight for my right to be anonymous online
Fight for my right to free speech and expression
Fight for my right to fair use and a vibrant public domain
Fight for my freedom to read in private
Fight for my freedom from government surveillance
Fight for my freedom to tinker
Fight for my freedom to learn about technology and share the findings
Blog-a-thon tag:
EFF15
EFFは日本だと、最近のニュースでかなり間違った紹介をされていますが(恥ずかしい思いをしないで済む方法って。。。脱力)、
ブログで恥ずかしい思いをしないで済む方法〜米EFFが注意事項を紹介
本当はアメリカで、個人の言論の自由を守るために、かなり具体的な活動を展開している組織です。法律ガイドラインを出したり、逆に制圧を受けた個人をサポートして弁護士を派遣していたりもしています。
EFF: Fighting for Bloggers' Rights
日本のメディアでの紹介で、その前提条件がズッポリ抜けて、「恥ずかしい思いをしないで済む」とか「ブログでクビにならないガイドライン」とか、何でそうなってしまうのかは、まったくもって意味不明ですが(もしかしてEFFのサイトすら見てないで記事書いてる?)。スケルトン・キーから、バーロウが60年代をふりかえって語った言葉を引用してみます。
ものごとは思っていたほど急速にはかわらない、とわかったのは、最初の興奮の洪水が去った後だった。社会は免疫性の拒絶反応をたくさん示したし、多くの人たちがつらい次期を過ごしていた。間違いなく、私もそのひとりだった。もうすこし時間がかかりそうだった。
そこで私はもっとスローな道を行くことにした。意識を変えるためには、よろこんで一生涯をかけなければならないと気づいたからだ。友だち何人かにアシッドをやらせる以外にもやることはある。
政治学的にはその当時、ふたつの潮流があった。ひとつは、新しいマルクス主義者たちだったSDSによる反戦政治学。そしてもうひとつが、意識の政治学だった。
どちらかというと私は、もし意識を変えることができれば、政治はそれに従っていくと信じるようになっていた。問題は人々のものの見方、現実の組み立て方なのだ。現実というのはひとつの意見であることを、彼らは理解する必要があった。いったんそれが理解できたら、権威はまったく違った性格のものになってくる。なぜならほとんどの権威は、現実には固定されたものという考えに基づいているからだ。
スケルトン・キー
スケルトン・キーは、デッド・カルチャーの詳細が網羅されていて、かなり今のFree Culture Movementの基本となったアイデアを、面白く、かつ生々しく知ることができます。ライブを自由に録音して、デッド公認で流通してもいい「オーディエンステープ」とかって、今のP2P論争の完全に先をいっちゃってるし。
聴衆の中にいて偶然入ってしまった音は、オーディエンス・テープを聴くときの興奮を高めてくれる。1971年8月6日のテープは、ブルース・ハービーとボブ・マークスがハリウッド・パラダイムで録音したもので、初期のオーディエンス・テープの生き生きとした気分をよく伝えている。
ボブ・ウィアの声が聴こえる。「ほら、そこのマイクロフォンを持ったきみら。もし、ちゃんとした音を録りたかったら、10メートルほど後ろにさがらなくっちゃ。あそこの方が、ずっといい音だよ」(言われたテーパーがその「スイート・スポット」に移ると、誰かが言う。「そこだ!」)
スケルトン・キー
今の著作権の議論も、なんだか変な路地に迷い込んでいますね。「現実というのはひとつの意見である」というバーロウの言葉にもとづけば、ある人には「著作権とは、金を録るための手段」であり、別の人にとっては「著作権は、クリエイティブ・コモンズで共有財産を守る手段」であることが、それぞれの現実なのでしょうか。
別に様々な現実(意見)があることは、まったく否定しないのですが、「いったんそれが理解できたら、権威はまったく違った性格のものになってくる。なぜならほとんどの権威は、現実には固定されたものという考えに基づいているからだ。」というバーロウの言葉がますます重みをおびてくるのかもしれません。
ま、あんまり堅苦しく考えずに、音楽を聴きつつ、スケルトンキーでも楽しく読みながら、新しいネットの種を想像するのが、一番楽しい現実なのかもしれませんが!
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